Lyricon (リリコン)とは

 リリコン(Lyricon)は1970年代に開発された「電子吹奏楽器」です。その外見から電子クラリネットなどと呼ばれたこともありますが、フィンガリング(運指)は基本的にサクソフォーン族のものを踏襲して設計されています。キー(鍵盤)は電気的なスイッチの接点となっており、管楽器のように物理的に振動する気柱の長さを変えて音程を変える働きはありません。マウスピースはシングルリードの木管楽器と同じ形状ですが、演奏中にリードが振動して発音することは無く、リードは接しているカンチレバーから演奏者の唇の圧力の変化を検知する働きをしているのみです。マウスピース後方で息の圧力をダイアフラムが受け、これに取り付けられたセンサーがブレスの圧力を検知する仕組みとなっています。運指の状態、リードセンサー、ブレスセンサーからの3つの信号がコンソールに送られ、これらにもとづいてコンソールでは音色・音程・音量などが電子的に作られ、アンプに出力されます。

 今日、リリコンというと日本ではウインド・シンセサイザー、あるいはウインド・MIDI・コントローラ全般を漠然と差すものとして誤用されていることが多いですが、Lyriconはアメリカのマサチューセッツ州ノーウェルにあったコンピュトーン社 (Computone Inc.) のElectronic Wind Instrumentの固有の商品名でありました。


リリコン誕生



 1960年代の後半、アメリカの二人のエンジニア、ロジャー・ノーブル(故人)とビル・バーナーディは新しい電気楽器のアイデアを実現するためにいくつかのプロトタイプを作っていた。このアイデアとは、木管楽器の演奏方法によって電気的な発音を行う楽器で、息の圧力、唇の圧力、フィンガリングの状態を検出して、オシレータによって発振された音をさまざまに変化させるというものである。ロジャーは主に電気回路のデザイン、ビルは楽器全体のデザインを担当していた。 

 5年間の試行錯誤の後、1970年2月、ビルはロジャーとともに借金をしてマサチューセッツ州ハノーバーにComputone社を設立する。資金が底をつくと、友人に株を売ってなんとか食いつないだ。翌年、Computone社は特許を申請、2年後の1973年10月23日に特許を取得し(特許の申請書類一式はアメリカ特許庁のホームページhttp://www.uspto.gov/ で承認番号3,767,833で参照することが出来る)、実際の製品化にあたりマウスピースのリップセンサーの原理などいくつかの点を改良して1974年から発売を開始する。
 
ビルはLyriconのマーケティングを始めたが、なかなか思うようにはいかない。ほどなく楽器ビジネスの世界での経験のないコンピュトーン社にアメリカ・セルマー社が販売提携の話を持ち込み、資金源を探していたコンピュトーンはこれを受け入れる。(当時のセルマー社はアメリカの主要な管楽器メーカー、CONNやBuescher、ドラムのラドウィッグなども買収して傘下におさめていた。)USセルマーはアメリカ国内でのリリコンの販売を行い、アメリカ以外の海外向けには金管楽器で有名なセルマー系列ブランドBACHがディストリビューターとなった。

 ロジャーとビルのComputone社はノーウェルに会社を移しハンドメイドで累計300ユニットのリリコンIを製造した。アメリカでの販売価格は当時の価格で$2500-3000。為替レートは1ドル200円台の時代だったと思うが、日本では当時私が見たものには180万円!のプライスタグが付いていた。
(後に90万円に値下げされた)





名称 Lyricon
製造年 1977
S/N 77074
仕様  key:キー切替SW(G、Bb、C、Eb、F)、ファインチューニング
range: oct レンジ切替SW(lo/mid/hi)、トーンフィルターSW(lo/mid/hi)、センスアジャスト
マウスピースコントロール:グリッサンド、ティンバー、リードオーバートーン、ウィンドスレッシホールド
wind dynamics:フィルターアタック、ティンバーアタック、ポルタメント、ラウドネス、ゼロバランス
basic overtone:周波数5種類、各サスティン
wind overtone:ウィンドプロポーション4、トーンカラー(スレッシホールド・コンテント)
mixer:ブラスオーバートーン/ウィンドオーバートーン・ミキサー
output:ラウドネス、フォーンジャック
AC100〜220V
管体寸法:外径32mm真鍮 全長574mm
管体重量:1.1Kg
管体仕上:クロームメッキ 彫刻入り
ケース外形寸法:28cm X 77cm X 18cm
総重量:
11.2Kg
ひとこと 筆者の好みは、なんと言ってもこのリリコンIであります。機械としての信頼感や操作の容易さは無いけれど、楽器としての完成度はかなり高かったと思います。繊細な表現力という点では未だにこのオリジナル・リリコンを超えるウインド・コントローラーは無いと思っております。


リリコンIIとドライヴァ


 1976年、時代はまさにムーグ(モーグ)、アープ、オーバーハイムなどアナログ・シンセサイザーがポピュラーになりつつあり、演奏者にかわってシンセサイザーのプログラミング(音作り)を専門に行うマニピュレータと呼ばれるエンジニアが活躍するようになる。リリコン(後に区別のためにリリコンIと呼ばれることが多いが)は、ユニークなオシレータとフィルターのを持ち、無限に素晴らしい音色を作り出すポテンシャルをもっていた。その反面、良い音を作り出すのは非常に難しく(使いにくい雑音域が広い)、他のアナログ・シンセサイザーとは音作りのロジックが異なり、せっかく作ったセッティングを保存することもできなかったため敬遠され、ミュージシャンの間からは一般的なシンセサイザーとインターフェースを持つリリコンを作ってほしいという要望が多くなり、セルマー社はリリコンの管体部分に他のアナログ・シンセサイザーとのインターフェースのみの機能をつけた“ドライヴァ”、2つのVCO、VCFやLFOなどを載せた“リリコンII”をコンピュトーンに(回路の設計はGervais、実際の製造はセルマーの下請けでGEMが行ったといわれている)開発させた。セルマー社が買収したAmpegがディストリビュータとなった。これらは約4000〜5000台ほどが生産されたといわれている。




名称 Lyricon II
製造年 1977
 S/N Console:B415/Body:missing Console:AB-448/Body: B301
 仕様 VCO I ・ II :3 oct SW、モードSW( LFO / リード切替)、波形(ソー/パルス)、OSC・ON -OFF、ファインチューニング、モジュレーション、パルスウィズス、スレッシホールド
シンクロ: ON - OFF SW、 LFO
VCF : VCO I ・ II ミキサー、LP / BP /HP 切替SW、フリケンシー、レゾナンス、LFO /ウィンド/リードSW、モジュレーション
アウトプット:ラウドネス、ハイ/ロー/ヘッドフォン出力、外部シンセサイザー用コネクター
AC100〜130V / 240V 50〜400Hz
管体寸法:外径32mm真鍮 全長54cm
管体重量:1kg
管体仕上:シルバーサテン
ケース外形寸法:30cm X 67cm X 15cm
総重量:6kg
ひとこと 音源が淋しいと言う決定的な点を除けば、シンセ+コントローラをひとつのケースに収めた、ホーンプレーヤーには理想的なパッケージングだ。シンプルなオシレータによる、素朴な音も、今となっては新鮮に感じるかもしれない。エフェクターをかければけっこう「らしく」なるし、接続ケーブルを自作すればドライバーのように外部アナログシンセと接続することも可能だ。もし良い状態のものを見つけられたら入手しても良いのでは?但し自己メンテ覚悟で、値段が安ければ!




名称 Wind Synthesizer-Driver
製造年 1978
 S/N Console: 361 Body: B11
 仕様
ピッチコントロール:スケール、チューニング
リップコントロール:ベンドダウン、ベンドアップ
ウィンドコントロール:ウィンド2、ウィンドゲート2、ウィンドゲートSW(S / L )、スレッシホールド
アウトプット:外部シンセサイザー用パッチ端子、ピッチSW1・2、ウィンドSW1・2、リップSW1・2、ベンドダウンSW、ベンドアップSW、ウィンドゲートSW1・2、スケールSW(ロー/ミッド/ハイ)、外部シンセサイザー用コネクター、Octコントロール用フットSWジャック
AC100〜130V / 240V 50〜400Hz 
管体寸法:外径32mm真鍮 全長54cm
管体重量:1kg
管体仕上:シルバーサテン
ケース外形寸法:30cm X 67cm X 15cm
総重量:5.4kg
多分、リリコンシリーズで一番売れたのがこのドライヴァだと思います。操作は難しいけれど、よく考えられた出力系をもっていて、個性的な表現を求めるミュージシャンのニーズにも対応できたと思います。いかんせん、安定性がちょっとねえ...。

リリコン時代の終焉




しかしながら価格が高く、しかも頻繁に調整の必要な個所が多いことや、コストダウンのために品質が低くハードウエアそのものの信頼性に問題があったこともあり、マーケティングは成功しなかった。79年にはリリコンのトランスデューサーのみを製品化し、ヒューマナイザー(外部シンセサイザーをブレスでコントロールするデバイス)として売り出したが、相変わらずビジネスは成功せず、ついに1981年コンピュトーン社は倒産した。
 残っていた部品は買い取られたり、債権者に引き取られたりし、82年以降JL Cooper社製のCV/MIDIインターフェースを取り付けたうえで販売された。
 雑誌広告にも掲載され、ジョン・ドーンズやブランケンソープ、リリコンの販売促進のためにデモンストレーションを行っていたスタジオ・ミュージシャン、サル・ガリーナもそのうちの一人だった。 (MIDI対応とされたドライヴァの中には、Lyricon III と称して販売されたものもあるが、これはComputone社による正式な命名ではない。) 後にリリコンの特許はヤマハが買取り、サル・ガリーナをコンサルタントとして雇い入れ、MIDI規格のウインド・コントローラー“WX7”を生産することとなった。 
 
 活躍した時期は短かったものの、トム・スコット、リチャード・グリーンバーグ、レニー・ピケット、ソニー・ロリンズ、ベニー・モウピン、ラサーン・ローランド・カーク、リチャード・エリオット、ウエイン・ショーター、デイブ・サンボーン、マイケル・ウルバニアク、国内でも伊東たけしをはじめとしたプレイヤーらによって数々の名演が残されており、MIDI全盛の現在でも当時のアナログの分厚い音を懐かしむ人は少なくない筈だ。永く音楽界で生き残らなかったのは、出生のタイミングが悪かったとはいえ、そのポテンシャルを考えるとあまりにも残念である。その後に登場したデジタル・ホーンの便利さは理解していても、アナログの繊細な表現を忘れることの出来ない筆者のような、リリコン・マニアは世界中にまだ存在していて、独力で保守・修理をしながら愛用しつづけているのである。


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